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建物を建てる時に為になる話。(part 2)2021年7月31日

小田原の建築家杉山文男先生のコラム。

第2弾です。

 

 

つうふう

夏本番ビールの季節がきた。小生もビールは大好きだ。木陰のベンチに座り、頬をやさしく撫でて何処へと流れ去るそよ風に身を置いて、冷えたビールを喉越しにぐーと流しこむ。まどろむ気分は今、生きていることの幸せを覚えさせる。

さて、今回の表題「つうふう」のお話はビールを飲みすぎた方がそよ風に触られるだけでも飛び上がるほど激痛が走ると言う「痛風」の話でなく、住宅に関する通風のお話です。

でも、この通風の扱い方をひとたび間違えるとせっかく作った建物本体に傷みが発生するかもしれないマイホームに痛い、痛い「痛風」が発生してしまうほど気をつけなければならない問題です。という7月~8月にかけて夏本番のお話です。

住宅は人間と同じように空気を呼吸する生き物であると常々おもっている。家を計画、設計する人、マイホームを建てて生活を始める人が家は生き物であることにどれだけ自覚して、意識しているだろうか。機械文明に慣らされた人間が建物は自然のなかで生きている生き物として自覚、意識している人は意外と少ないように最近は感じる。

反面、昔の人は現代の人間より数段自然の中で生きる知恵なり、方策なりをよく心得て生活なり、生活を守るシェルターとしての建物を自然の一部として生かすことに長けた営みおこなってきたようだ。

さて、「つうふう」のお話です。建物が「痛風」にならないためには住宅の通風のために住宅を大きく3つの場所・位置的区分に分けて通風を考えることが必要と考える。

1つ目は人間が生活する場としての部屋と部屋との通風。これは部屋の換気の問題であり、夏の生活の問題でもある。

2つ目は1階床と地面との間の通風。これは床下の換気と湿気の問題でもある。

3つ目は屋根とその階下の天井との間の通風。これは外気の寒暖の差による温度差の激しい換気の問題でもある。

以上の場所・位置的区分を設けて通風を考える必要があるようだ。

それぞれの通風をしっかり自覚して計画なり設計なりすることが大切だ。言い換えれば、この3つの通風が配慮された住宅は長期にわたり健康で安全な住宅であるということだ。住宅があっちこっちと「痛風」にならずにすむ重要な問題だ。

今回は1つ目のお話です。

1つ目の話。

夏のつうふうを考えて、最初からすこし話はそれます。高等学校で国語の教科に現代国語の他に漢文と古文という科目があった。漢文の先生が黒板に漢字に向かいレ点を入れ浪花節もどきの言い回しで読まれていらっしゃった。中国人もこのような節回しで読んでいるのだと感心もした。後日、中国人はあんな読み方はしないことがわかり、巷の喋り方と違う先生は山上の仙人かと思った。はたまた、源氏物語に始まり古今和歌集等々の古文では人生初めて聞いた「おじゃれ言葉」の言い回しにもトント職人の子として生まれた私には理解を超えた別世界の言語のように感じられ、授業が苦痛だったことを覚えている。大人になってもチンップンカンップンでお恥ずかしいかぎりだ。

ところが、歳月が流れた今でも心に残り、愛読して、なんどとなく買ってしまう本がある。幸田露伴の「五重の塔」と吉田兼好の「徒然草」だ。これらの本は今でも心の奥底では自分なりに住宅設計の基本的な大きなよりどころになっている書籍である。

ご存知のように90歳代で出家したドフトエスキーと違い、吉田兼好は30歳台初めに出家したからこそ、義理人情に縛られてあくせくして動き廻る人間社会や自分が生かされている自然を友とし、斜に構えた位置から人と自然を眺め、筆をなめ舐めしながら世情や自然観、無常観をみごとに「徒然草」として詰め込んだ。時代は変わっても人間と自然は変わらない。人間と自然を透徹に描かれている真理は今でもかわるものではないようだ。

話はもどります。「徒然草」の第五十五段に「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き比、わろき住居は堪え難き事なり。深き水は——-」とある。この文意の関しては現代の住宅計画ではまずもって最初に考慮して取り扱わられるべき事項だ。昔も今も変わらない。

すなわち「涼を求めて新鮮な空気を家に取り入れて、室内の澱んだ空気を排出せよ。室内・室内を柔らかな空気を走らせなさい。」と言うことに他ならない。

建築主や建築家が住宅を計画する時は、室内の夏の蒸し暑さを考えて空気の通り道を描きながら計画をすることが大きな仕事。室内での窓の大きさとその位置は大変重要なことなのだとの認識が必要だ。

現代の住宅では気密性能の高い窓で閉めておくことが前提かのように室内が作られているし、自然を忘れクーラーも扇風機にたより、人間の発熱と生活のために室内に持ち込まれた諸々の物品や建築材料から発散される化学物質でよごれた空気を掻き回している中に涼を求めて、あるいは暖を求めて生活しているようだ。夏、湿度は下がっても夏の室内の汚れは除かれない。

吉田兼好の時代はクーラーも扇風機もない時代、自然の涼気が室内に流れ込み人肌の表面温度を下げ人に冷気を感じさせ、同時に室内の汚れをさーと流し去る。どんなにか当時の家のほうが健康住宅だったろうか。

学者が室内の換気回数とか難しげな計算を提示し、これに沿って建物を作れば換気は万事、事足りるかのように提案された記述を読んで驚いた記憶がある。それでも室内のカビなどの発生が治まらないと聞く。室内の使い方は人間側の心の問題だ。空気の流れには机の上の計算と実際と大きな違いがあるようだ。

建築を規制する法律。建築基準法で何年前からか室内に外部に接して給気口を設け、ドアーの下を切り落とし、便所の換気扇を24時間回し換気をしなさい。となっている。この目的とすることは室内へ優しい自然の風を入れることを目的としたことでない。室内の材料から発生する人体への有害物質を排除させようとするのが換気の目的だ。

わざわざ条文化させてまで建築中にこれらの設備と建築構造を作らせるのは現代社会の材料には有害物質の発散が長期に渡り発生することです、と教えている条文だ。法は通風には言及していない。人が生活する室内の住まい方は自分の意思で窓を開けなさいということだ。

窓の機密性能は技術で高められるけど、窓の開放までの技術はむりだ。窓は「通風」・「採光」・「遮音」・「眺望」・「防火」等の機能を担っていたが、昨今は「通風」は捨ててしまった。昔、テレビで某サッシメーカーのコマーシャルでお爺さん、お婆さんが「あけとけ」「しめとけ」と言う寸劇があったことが記憶に残る。たしかに窓の開閉は通風には自然の理にかなったコマーシャルだ。

「痛風」にならない1つ目の話の結論です。

クーラーなど機械ばかりに頼らず、朝起きたら窓を開け、清清しい空気を室内に招きいれ汚れた空気を洗い流しましょう。夕方にも同じようにいたしましょう。そのような意識を強く持ちましょう。

また、ちょっと話は余談ですが、関東では夏の風の通り道は南から北へ流れるのが常識だ。それに対応して窓を考える。昔、通風を念頭に「徒然草」を読んだあと、住宅図面や完成写真が掲載されている関西の出版社の雑誌等で見ておどろいた。関西の住宅は西側の窓が関東のそれに比べて大きいことに気がついた。理由は夏の通風は西の日射に耐えても風の道は西から東に走るからだ。昔は関東の感覚で長い間「徒然草」を読んでいた。吉田兼好の夏の風とは西から東へ流れる風を詠んでいたのだった。

来月の2つ目の予告

床下換気に関して建築家 故 吉田五十八の考え方をすこし載せてみたいと考えます。大変に計画に役に立つ事柄です。計画する人期待してくださいね。

久しぶりの感動2021年7月25日

 

新規開業や出店などの時に頂く

胡蝶蘭。

2~3か月すると枯れてしまい

処分するケースがほとんどで

処分するときのゴミ分別も大変です。

当社も昨年、事務所移転時にお客様から

頂いた胡蝶蘭が枯れてしまい

ゴミ袋に収まりきらないので処分に悩んでいました

枯れた植物を置いておくのもよくないので

一旦自宅へ持っていき休みに日に分別して

ゴミに出す予定でしたが

1鉢目をばらしてゴミ処分しましたが

思いのほか大変でしたので

もう1鉢はつい先延ばにしてしまいました。

そんな中、奥方が週1で枯れた胡蝶蘭に水やりをしていたそうで

数週間がたったころに蕾が出てきて復活したのでした。

胡蝶蘭が復活したのは初めてでしたので感動しましたが、

果たして花は咲くのかなぁ?